ハダカは目の前にあるのか/竹橋、国立近代美術館にて [見聞記いろいろ]

先日の日曜日。午前中の授業が終わった、良く晴れた日曜日の午後、
竹橋の国立近代美術館で開かれている2つの展覧会に行ってきました。
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一つはスイスの建築家、ヴァレリオ・オルジャティ展

もう一つは、近代以降の「はだか」を集めた「ぬぐ絵画」展
学生の頃に流行った、
「仮想空間」とか「バーチャルリアリティ」とかいうコトバ。
いろんなキカイが進化して、
見えない、聞こえない、触れない世界を感じ取ったり、
過去や未来の時間軸を超えて、世界を探ったりすることが出来る。
目の前に無いはずの姿を、「何らかの方法で」想像する、
「そこにある」と思いこんで行動すること、考えることが、
随分容易になった気がします。

ヒトのハダカという最もヒトに近くて、かつ、
古今東西ヒトがつくってきた歴史的な道徳観からすると、
最も遠ざけられるヒトの有様(ハダカ)。
作家は、ヒトの有様を描くことを通じて、美しさとは何かを描く。
それを美術館という世界のなかで、「カンショー」する。
ハダカに感じてはいけないというか「行為の無いエロ」というか、
そこのトコロは置いといて、「絵空事」のなかの、あるルールの下に
純粋に?取り出された美、だけを眺め、考え、「頭に描く」。
ハダカの絵は、
ヒトの美しさを考えるための「仮想空間」の最もシンプルな一つでしょうか。

脱ぐ絵画展を見終わったところで、一休み。
夕暮れのオレンジ色のヒカリが射す休憩室。
壁に映る影にドラマを感じる。これも仮想空間。
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オルジャティ展は、
目線の高さに引き上げられた1/33縮尺の白い、ザックリした模型と、
足元に並べられた、その建物を理解する上でのカギとなるような図面、
イメージを誘う図版、
建物の具体的かつ部分的な映像等の展示、
の間を行ったり来たり。
視線、目線、動線を総動員して、
建築家が空間を考える過程(=設計)そのものに、観覧者を引き込むような展示でした。

建物をつくるにあたり、
敷地を見に行ったり、
スケッチや図面を描いたり、
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模型をつくったり、3Dを起こしたり、
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縮尺(1/200とか1/50とか1/10とか場合によっては1/1とか)を換えて考えたり、
はたまた小説家のようにコトバで空間を捉えようとしてみたり、
そして自分の記憶、体験、イメージを堀り起こしてみたり…。
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あたりまえのことだけど建築は、
設計作業を通して建ち現れてきます。
なにもないところからカタチをつくっていく時の、
作法というか、視点の取り方というか、自分なりの仮想空間の持ち方というか、
考えることの多い展覧会でした。
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ノンビリ美術館で過ごしてたら、外はすっかり夕暮れに沈む。
帰り道、表参道に入ったら今年もイルミネーションの輝き。
こちらは仮装空間(失礼!)
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